花火と縁のない日本の夏を過ごす事

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花火と縁のない夏を過ごすことになりそうです。

花火大会を観に行く
家の前で花火をする

こういうのは、リア充の証

気のいい仲間や、カップルであったり、
平和な家族愛の象徴というイメージがあって、
それができているかどうかが、
幸せであるかどうかの尺度とする
強迫観念が有りました。

だからこそ、意地でも守ろうとする、あるいは、
縁がないことを嘆く、日本人ならではの「価値観」があったように感じます。


これ、イマドキ、どうなんでしょうね。

個人的には、ぷっつりと、こういう、日本的な、
花火に対する欲が、この夏、
自分の中から、キレイさっぱり消えてしまっている事に
気づいて、少々驚いています。

たとえ、小さな線香花火だけでもいい
なんだったら、室内で一本だけもいい
とにかく、
「花火」
と縁のある夏をすごさなきゃ・・・という
事にたいしてのモチベーションをもはや、喪失しているんですね。

これは、あきらめの境地なのか、
単に、新しい文化への興味の移り変わりなのか

なんにせよ、人生の大部分で、定番だった、
海、山、プール、日焼け、祭り、そして、花火の夏休み
こういう典型的な夏休みを、今年は全く過ごしていません。

かといって、充実していないのか。

そういうわけでもないな。

幸せの形態が時代とともに、確実に、多様化したんでしょうね。

例年にも増して、今年は、文化、知の充電が楽しくて仕方有りません。
読みたかった本、動画、音楽、アート、科学をガンガン消費していっています。

バイクもカッコイイ、時計も、文具もカッコイイ。
夢だったSony4Kも手にはいった。
メシも美味い。勉強も楽しい。
身体の方は、理想状態を維持する習慣を守ればよし。
お金にそこまで困らなくなった。
必要としてくれる人がたくさんいる。
必要な人もたくさんいる。
休日もたっぷりアル。

こういう夏を迎えるのは必然だったかも。

海や、花火は、人生の中で時期が来れば、
またその時に楽しもうと思っています。