
写真は感情を写すものだという話がある
けれど僕が惹かれ続けてきたのは、
「対象そのものの硬さや手触り」を
凝視するような即物的な写真だった

その原点にあるのが、大辻清司の撮る航空機の写真だ
機体の金属皮膜、整然と並んだリベット、そこに漂う油の匂い
そこには人間的な物語や情緒が入込む隙はなく、
ただ「圧倒的なモノ」としての存在感と構造美だけが鎮座している

日常の片隅にある手すり、神社参道のお店の壁面、
ふと目に入る建築の幾何学
そうしたモノの表面にへばりつくテクスチャや「異物感」を、
いかに冷酷に、そして高密度にフレーム内へ定着させるか

長年愛用してきたα99や各種マクロレンズで試行錯誤を続けてきたけれど、
どこかで
現代の最先端最高峰の光学技術なら、
この先にある解像の壁を突き破れるんじゃないか
という欲求がずっとくすぶっていた
ハイレゾDAP+超高級ヘッドホンにドキドキした感覚と似ている

ラージフォーマットへの憧れと、α7R Ⅵの導入
柴田敏雄が描くダムや構造物の緻密な幾何学、
あるいは百々俊二が大判カメラ(8×10)で捉える圧倒的な情報量
大判・中判といったラージフォーマットの魅力は、
単に「大きく伸ばせる」ことではない

Beatsgalleryで鑑賞したエイトバイテン+大全紙プリントの壮絶な美しさ
画面の隅々まで一切の滲みや歪みがなく、
すべての画素に情報がギッチリと充満している
「像面の圧倒的なフラット密度」に背筋が寒くなる
こんな世界があったのか!!
大判カメラ+バイテンフィルム+大全紙プリントなんて、
機材の価格そのものより、撮影コストが狂っている
一作品が2万あたりでコンスタントに売れるフォトグラファーでないと
趣味で継続は無理だ

2026年のど真ん中、12年連れ添ったメイン母艦α99→α7R Ⅵへと移行した
約6800万画素という変態的な解像力を持つ
現時点で世界最強のフルサイズセンサーを手に入れた瞬間、
それは単なるカメラの買い替えではなく、
フルサイズでどこまで大判的な即物性の世界に肉薄できるか
という実験のスタートだった

いくらボディが怪物でも、
そこに注ぎ込むレンズの光が甘ければ何の意味もない
この高画素の隙間に、
一切の滲みなく光を叩き込めるレンズはどこにあるのか

APO-LANTHAR 65mm F2 という「答え」
当初は純正の最高峰SEL50F12GMなどを思い浮かべていたけど、
AIと相談して浮上してきたのが、
自身、完全に盲点だったマニュアルフォーカスレンズ
——Voigtlander MACRO APO-LANTHAR 65mm F2 Aspherical だった

コシナが「フォクトレンダー史上最高峰」と謳い、
光の三原色の色収差を物理的に極限まで消し去ったアポクロマート設計のレンズ
調べていくと、これが笑ってしまうほど自分の写真スタイルにドンピシャだ

ハーフマクロ(1:2)で質感に肉薄できる
単なる風景単焦点ではなくマクロ機構を持つため
被写体の微細な皮膚感や錆、
ひび割れを画面いっぱいに「凝視」してえぐり取る事ができる

65mmという絶妙な「パースのない」画角
50mmのような遠近感の歪みがなく、
中望遠マクロほど標本的、遠遠感に陥らない
画面を幾何学的かつ平坦(フラット)に構築できる
絶妙な画角

像面平坦性と色収差ゼロがもたらす「冷酷な像」
フローティング(近距離収差補正機構)機構により、
近接から無限遠まで画面四隅の解像度が一切低下しない
コンクリートのエッジや金属のハイライトに生じる紫や緑の偽色が
物理的に「ゼロ」であるため、
表現から情緒や曖昧さが削ぎ落とされ、
どこまでも冷たい「物質感」だけが定着する

三原色(RGB)の色収差排除が生む、極上のモノクロ表現
一見「色」を消すモノクロにアポクロマートは不要に思えるが、実は真逆だ
カラーでの色収差は、
モノクロでは「エッジの微小なボヤけ」として変換されてしまう

RGBの波長が完璧に1点に結像することで、
明暗の境界に余計な濁りが挟まれることなく、
刃物のように鋭利な黒と白のエッジが立ち上がる
さらに現像でにコントラストを追い込んでも、解像度が一切破綻しない

春に16mmフィッシュアイでパースの歪みを極限まで楽しんだ後だったからこそ、
その真逆にある「極致の平面解像」へ向かう流れは、
自分の中でもすごくしっくりきた

感情のPlanar、冷酷のAPO-LANTHAR
手元には、マウントアダプターを介して使っている「Contax Planar T* 50mm F1.4」がある
開放の湿り気のあるトーンや空気感を包み込むグラデーションは、
今でも代わりのきかない「情緒のレンズ」だ

そして今回、衝動的に注文した「APO-LANTHAR 65mm F2」は、
その完全な対極に位置する「即物と冷酷のレンズ」になる
Planar 50mm: 被写体との間に流れる「空気や気配」をすくい取る
APO-LANTHAR 65mm: 感情を排除し、被写体の「密度や構造」を凝視する
6800万画素のキャンバスを、この対極にある2本で使い分ける
なぜ50mmでも85mmでもなく65mmなのか
①妥協なき光学性能の産物
「F2の明るさ・ハーフマクロ・完全アポクロマート(色収差ゼロ)」を
一切の破綻なく成立させるために物理計算から導き出された
「必然の65mm」
②伝説の系譜
かつて世界を震撼させた「125mm F2.5 Macro」の思想を標準域へ移植した、
コシナの意地と象徴
③映画的画角=人間の「注視野」
50mmのわずかなパースを消し、
85mmの圧迫感を避けて「構造と存在感」を克明に描く
映画撮影レンズ的な幾何学性
ちなみに、現在でも本格的な映画のレンズは全てMF!
つまり、65mmという数値は単なる奇をてらった変化球ではなく、「究極の画質を追求した結果、物理的にそこへ辿り着かざるを得なかったロマンの数値である

光学的な解像度のピークは「F5.6」
アポランター65mmの物理的な解像性能は、F4〜F5.6で完全なピークに達する
6800万画素という超精密なセンサーにおいては、
「回折現象」の影響を受ける手前のギリギリのラインがF5.6
「一番線が細く、刃物のように鋭利にチリチリ解像する」のは、まさにF5.6
8.5段手振れ補正の恩恵を受け、F5.6まで絞り、SS下限1/16秒で極力低ISOで切る
ずっしりとした金属鏡筒を両手でホールドして息を吐ききって
EVFのピント拡大を覗き込んだとき、
一体どんな真空のような解像世界が広がっているのか

AIと相談しながら自分でも知らなかった最高の相棒に行き着く、
というなんとも現代的な体験を経て、
あとは冷たい金属の塊の到着を待つばかりだ






