記録写真#505 昭和40年前後の学生時代昔話

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孫がいよいよ大学生になるってので、
自分が兵庫の田舎から大阪の大学に出てきた
60年前の思い出話を語ってくれます。

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当時の寮生活はセンパイ後輩の上下関係は
超絶対で、鉄拳制裁も普通にあったななぁ~。まだ
戦後のノリがかすかに残ってたからね。

それでも懲りずに、センパイが帰るの遅いって
分かったら食堂に忍び込んで、勝手におかず食べて
やっぱりばれてこっぴどく叱られて、ホント
楽しかったなぁ~と。
カリカリに表面が乾燥した冷ごはんは
最初に箸でひっくり返して、やわらかい所だけ食べるねん。

・・・そうか、電子レンジも無い時代だ!
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こ~~んなに大きい(と両手で広げる。明らかに大き過ぎるw)
クジラのカツが忘れられん。
一升瓶に入ったウスターソースをドバドバ掛けて、
キャベツにもご飯にもかけて、
うまかったなぁ~。
いまだに、ソースは高級なのじゃなくて、ヤスモンの
ウスターがすきなのはその頃の眩しい記憶だと。

カレーやヤキメシは当時、寮の食事には出なかったらしい。
冷えると固まって美味しくないからだと。
ほか弁なんてのも、昭和後期・・・僕の小学校後半に
やっと出たぐらいか。そりゃそうだ。

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大学が決まって、下宿先まで、
母親の手縫いの布団を運んだのが懐かしい。
綿をめいいっぱい入れてくれて、
毛布は「純毛」のん。
当時、純毛って、すごかってんで。

と昨日の事のように話してくれます。
24歳まで一緒に住んでいましたが、若い頃は
聞いたことの無い始めての話でした。

もちろんその優しい母親(僕の祖母)はもういません。

昭和40年前後はまだまだ、
食うもの、きるものレベルで困って、
日々の生活への感謝の気持ちにもっと
敏感だったのは間違いないですね。

ただ、みんなが同じように貧しかった。
その分、努力したら、だれでも漏れなく、
どんどん給料が上がって
しかもその後何年間も倍増していくという。

今とは違う悩みと、幸せが
結局はプラスマイナスゼロで同じぐらい
あったんだろうな。