ない幸せを屁理屈的に考えるぐらいなら、むしろ、幸せじゃなくたっていい!

イメージ 1

幸せに貪欲過ぎたり、
幸せじゃないといけないという強迫観念が強すぎると、
どんな事が起こっていても、それは結局幸せにつながる・・・などと、
強引に、悶々といいように考えようとするのですが、最近、少し思うんですよね。

そこまで、屁理屈的に「幸せ」のみを求めなくても、
適度の、「しんどい」「不幸せ」
が常にあっても、いいんとちゃうのかと。

「しんどい事」や、「いやな事」、「惨めな思い」、「嫌いは人」は、
やっぱり、ごまかしきれず、その気持ちが、そのまま事実なんです!

結局は、自分のため・・・とか難しく考えるんじゃなくて、
それは、紛れもない、いやな事なのであって、
いいことと、共存して一定確率で発生する運命なんだから、逆らえない!

オールクリア、一遍の悩みなし!

そんな瞬間は、死ぬまで来ないし、
逆に、オールバッド。全て行き止まり。

と見えるような瞬間も、まぁきません。

小学校低学年の頃はな~~んも悩みがなかったよな・・・
嘘の記憶の捏造・・・勝手に幻想化しているんでしょうね。

こんな、状態なんて、実際の小学校低学年の頃にも、実はなかったんじゃないかな。