なぜ、「引力」がこの世に存在する必要があるのか。
ニュートンを持ってして、
「神」を持ち出さざるを得なかった、
人類がたどりつけていない問いのひとつです。
引力とは何かは説明できても、引力がある理由は説明できません。
どこに萌えるかを語る事は大いに(w)できても、
「なぜそれに萌えてしまう必要があるのか」
これはわからないことが多い。
わからないけど、心と体が勝手に動いてしまう。
人のDNAレベルでインプットされていること・・・と、
ひとくくりにするにしたって、嗜好って、ひとごとに、
確実に違いすぎますよね。
僕は、何で、こんなモノクローム作品がすきな必要があるのか。
よく、フォトコンテストの寸評なんかを読んでいると、
「何を撮りたかったのかが伝わるように」
というフレーズを見かけます。
いくつかのフォトコンテストで入賞し、ちょっと色気が出て、
いっちょ、素敵な作品を撮ってみるか!と意気込むと、トタンに、
「どこか、好きだけど、見せる作品としては、イマイチ」
という、気持ちに駆られて、シャッターをなかなか切れません。
「俺は、ここで、何を撮りたいんだろう。コレ撮るの、どこに意味がある?」
煮詰まってきます。
どうすれば、もっと、「よくみれて」真理に近づけるのか、
いよいよ独学の限界かなぁ。