カメラって「撮るためだけ」のものなのか。置物カメラは悪なのか。

「やだあの人コンデジ使ってる…w」 
コンデジでパシャパシャ撮ってる奴、はっきり言ってダサいぞ
 
という、むしろ、そういうやつこそが実はダサいというクソスレw
をマッタリと上から目線wで楽しんでいました。
 
表題に戻りますが、
最近うすうす気づいていていたことが、
カメラは、撮影機器という側面と、
部屋でキレイに並べて、機能美を鑑賞するオブジェとしての
魅力の両方あるという事です。
 
イメージ 1
 
ツァイスのF2.8通し標準ズーム。
ほぼ同じ画角、開放値の、僕のタムロンA09中古が10個買えちゃいますw
その分、工芸品としての、存在感は半端ないですね。
 
 
写真を趣味にすると、必ず、ぶち当たるのが、
「それを必要とする被写体がないのに、いい機材いるの?」
という疑問。
 
僕も、当初、その強迫観念にとらわれていて、
撮らない、あるいは、性能を生かしていない作品作りのために、
高級機材を持つこと、持っている人への
そこはかとない劣等感や、嫉妬を感じていた事がありました。
 
これは、通勤や街のりにしか使わないのに、
スポーツカーや、大型バイクが必要なのかという問いかけにも
似ているものを感じます。
 
室内で、小さい音しか鳴らさないのに、ハイパワーのアンプがいるのか。
実弾が撃てないモデルガンに意味があるのか。
 
これらも一緒。
 
実は、これらの問いかけに対する答えで、抜け落ちやすい感情が、
「ものとして、カッコイイという魅力を感じていて、本来の機能性とは別に、
それを、自分のモノとして、傍においておくこと自体に幸せを感じる」
という事でなんですよね。
 
よく考えたら、まず使わない日本刀や、高価な焼き物など、
古来から、日本人って、実際の機能を無視した、「置物として」の文化を、
楽しんで来ているんだよな。
 
 
もうひとつ、この問題を複雑にしている感情が、
 
「経済的に、せっぱ詰まっている、あるいは、不安な時代に、
直接必要でないと感じられるモノにお金を使っていいのか」
 
という疑問。
 
言い換えると、道楽は悪。ありあまる、
お金持ちだけに許される事なんだという考え方。
 
これ関しては、こう感じています。
価値を何に見出すかは、人それぞれなのですが、本当に、餓死や凍死するような
緊急生活レベルの時でない限り、(そういう時は、物欲自体が消え去ります)
取捨選択の中に、贅沢なモノ(や時間)を楽しむゆとりを持つことは、
日常の、安定した心身のためにも絶対の必要要素なんだと。
 
 
将来、自分や家族に、なにかあるかもしれないから、貯金をする
 
 
これ自体を、趣味として、残高数値をみて、わくわくするのでない限り、
適度に無駄遣いしては、しめるところはしめ、辛抱する。
 
こういうのを上手にメリハリつけれる生活を続けられたらいいですよね。
 
 
ただ、次に、出てくる疑問が、
「ほしいものがない」「なにもかも魅力を感じない」という、はたからみて、
一見好ましい状態にも勘違いされる
非積極的な「無欲感」の恐怖。
 
ほしいものがないなら、みちたりているんだろうから・・・
というのは、健康な人の発想。
食べなきゃダメなのに、食欲がわかない恐怖と戦う拒食症の
感覚といえばいいでしょうか。
 
疑問や悩み事って、本当に、らせんで、ループしているものだなぁ。
 
 
目下、ほしいものは、
去年、とうとう我慢した遠赤外線ストーブ。
 
よかった、ほしいものがある自分ww