地平線の端から端まできちんとかかりきる虹を見る体験は
ひょっとしたら初めてだったかも知れません。
ひょっとしたら初めてだったかも知れません。
なんとか、うまく撮りたいと思うのですが、
ごちゃごちゃとした民家や電線、町工場が邪魔をします。
すべてがきっちりと見える場所を求めて大急ぎでウロウロと。
ごちゃごちゃとした民家や電線、町工場が邪魔をします。
すべてがきっちりと見える場所を求めて大急ぎでウロウロと。
路上にたむろする、主婦軍団が、
「こんな大きな虹、子供の頃に見て以来かも」
といいながら、家に引っ込んでる子供達を道路に呼び出そうとしています。
「子供の頃に見た」
あ~この感覚、いいなと。
向田邦子の「卵とわたし」の一節、
子供の頃の卵が大きく感じられたのは、卵が大きかったのではなく、
わたしの手が小さかったから
わたしの手が小さかったから
・・・を思い出します。
子供って、体が小さいから、モノが大きく大げさに感じるのですが、
心(経験量)も小さいので、
相対的に、感性が敏感なのかも。
心(経験量)も小さいので、
相対的に、感性が敏感なのかも。
マンネリ化は、感激する力の天敵ですからね。
結局、全景がきっちり入るような、写真を撮るのはあきらめて、
調度、いい感じに立っていた、ブルーの横断標識と一緒に。
調度、いい感じに立っていた、ブルーの横断標識と一緒に。
まだ、虹が残る中、
さっさと、先に、部屋に引っ込んでアイスクリームをかじってる
息子達に合流です。
やつらは、虹のロマンより、甘いおやつのほうがいいみたいですw
さっさと、先に、部屋に引っ込んでアイスクリームをかじってる
息子達に合流です。
やつらは、虹のロマンより、甘いおやつのほうがいいみたいですw
TRYX