勤め先で、自由時間に、子供達にgameをさせることは、禁止という話が出ました。
ようは、gameはけしからん。そんなものをせずに、ほかの事をして欲しい。
という事なのですが、僕は、黙ってはいたものの、
正直頭の中では微妙な気持ちです。
例えば、自由時間の娯楽が、gameでなく、読書なら、あるいは、学校の宿題や、
釣りに置き換えたとしたらどうなのか。
多分、とがめられる事はなかったんだろうなと。
結局、gameをしたことのない、僕より少し上の非game世代の大人にとっては、
21世紀になろうが、日本の主力輸出産業になろうが、
game=子供のおもちゃ=あってもなくてもいいもの・・・むしろ子供の健全な成長を妨げるもの
のままなんでしょうね。
僕自身、大学まで、game禁止の家に育って、
その反動で、大学~一人暮らし時代は、game三昧。
長年、趣味の中核を担ってきました。
ただ、育児や仕事、取り巻く物理的環境が、大変になってきたり、
経済的にハードや、ソフトにお金がかけられず、後回しで・・・と思っているうちに
少し遠ざかってしまっていました。
不思議なもので、遠ざかっていると、
なくてもいいやってなるんですよね。寂しいですが、変に我慢できる体質になってしまう。
縁あって、この一年ほど、また、いまどきの最新ソフトをボツボツ
遊ぶようになりました。
面白さを再認識するとともに、改めて感じたのが、
gameを面白いと感じる心は、万人にあるのではなく、
ある程度天性の嗜好に左右されるんじゃないかと。
僕は、gameをいつまでも楽しめる側の人間みたいです。
子供は、ほとんど、誰もが、最初、game好きですが、
年齢を重ねると、縄跳びや、おもちゃ遊びをしなくなるのとおなじで、
gameは趣味の中心ではなくなってゆきます。
そんな中でも、いつまでも、楽しいままの人もいる。
で、
「まだ、おまえ、gameすきなのかよ」
っていう評価を受けて、あわてたり、コンプレックスに感じちゃうんですよね。
まだ、スキなんだけど、馬鹿にされるのがイヤで、やらなくなってしまう。
→やらなくても気に成らない体になる。
年頃の子供達は、誰よりも早く、「おれ、もうポケモン卒業した、えっ、おまえまだやってんの」
って言いたいようです。
あれですよ、
「オレ、彼女おる」だとか、
「オレ、もう、やったことある」
なんてのがステイタスになるみたいなものですね(W
僕は、自分に自信がある頃は、堂々と、game好きの大人である事を言いふらしてきたのですが、
最近、揺らぎつつあります。
息子に、先日、
お父さん、大人やのにgameしているんやで~
って他の子供の前で意地悪っぽく言われたんですよね。
大人にならないと面白さがわからないgameだっていっぱいあるねんぞ・・・なんて
言い訳をしつつ、あぁ、わが息子をもってしても、
世間の一般的な目は、そんなものなのね。
と妙に冷めた気分になっちゃいました。
逆に、大人の趣味とされる
ギャンブルや、いろんな道楽にあんまりピンと来ないんだよな。
対ストレスには、趣味への没頭が一番。
でも、その趣味への情熱が揺らぎ始めると・・・
なかなか不安な気持ちが広がります。
いい趣味って??
スポーツとか?
あ~料理とかか。
明日(今日)は、うまいおやつでも作るかな。
あ~色々、めんどくせぇ。