先日の世界のサブカルチャーで紹介されていた「ジョーカー」に興味を持って、アマプラサブスクで観れるってことで深夜2時に視聴開始
予習はしてたものの、重い!思った通りの重苦しい胸糞シーンの連続
しかしなぜか切なく美しい
もし自分が当事者ならこれを回避できるメンタルは果たしてあっただろうかと自問する
強者側も強者なりのギリギリのストレスで生きてるからこそ余裕がないんだろうなというのもわかる
こうなるともう、どっちが悪いとかではない
プロの作品に突っ込むのもなんだが、何気にカメラワーク、レンズチョイスもいい
どこを切っても画になる、映画っていつの時代も文化のキングだな
救いはないんだろうなと思いながらやっぱり救いはなく、
自分のこの20年の境遇と重ねながらいろいろ考えこんで夜明け頃にやっと眠り
テレビをつけると現実の世界で、未成年の中学乗り込みジョーカー事件報道
なんたるタイミング!
あたらめて思う
「こんな不公平な世の中は正しくないから無敵の人を生まないような社会の仕組みを」
なんて残念だけど絶対に無理
それは歴史が証明してるからな
無理でも求め続ける希望は必要だけどね
待ってたって、弱者にやさしい世界なんて来るわけがない
その代わり強者側はいずれ弱者の無敵行為に引きずり降ろされて
お互いゼロリセットされて次のレースが始まるの繰り返しで2000年来たのに
この10年やそこらで世界が変わるわけもなく
富める者側も案外自分で歯止めが効かなくなってて、度が過ぎたタイミングで、ジョーカーにやられるというのがホモサピエンスという種の脳みその限界、三すくみなんだと思う
ならできることは
おかれた立場の中のメリット、デメリットを早い段階で見抜いて
よく生きる
これに尽きる
泣けるなぁ
これだな!
屈辱の日々の中の希望と幸せは