写真の殿堂の佳作に僕のモノクローム作品が2作選ばれました。
そして、小林紀晴先生に、モノクローム作品についての講評を頂きましたので、
よい機会ですから、僕の現時点の考え(思い)をまとめてみようと思います。
そして、小林紀晴先生に、モノクローム作品についての講評を頂きましたので、
よい機会ですから、僕の現時点の考え(思い)をまとめてみようと思います。
『・・・モノクロだからこそインパクトがあります。もしカラーだったらこうはなりません。では、カラーとモノクロのあいだには何があるのか、何が違うのか。その選別はどうやったらいいのか。悩ましいところです。
シーンと、モノクロでも、カラーでもどちらでも成立するシーンってありますよね。
もちろん明確な答えはありません。私も両方撮りますが、その違いをうまく説明することはできません。いつでも曖昧なままです。ただ言えるのは、現実をできるだけ現実のまま表現したいのだったらカラー、現実をできるだけどこにもない存在にしたかったら、より自分の近くに寄せたいのだったら、そして見る者の心情にできるだけ訴えたいのだったら、モノクロにすべきだと思います。ただ、例外はもちろんあります。』
モノクロにするからこそインパクトが出る≒カラーだと、作品になりえないシーンと、モノクロでも、カラーでもどちらでも成立するシーンってありますよね。
殿堂にエントリーした2作品は、どちらも、カラーでは単なるスナップ。記録写真です。
より、自分がその場に感じた光と影の魅力を「濃く」正確に伝わるよう、
デフォルメ・ブーストして仕上げるには、モノクローム仕上げという手法が唯一適していました。
より、自分がその場に感じた光と影の魅力を「濃く」正確に伝わるよう、
デフォルメ・ブーストして仕上げるには、モノクローム仕上げという手法が唯一適していました。
そういう、どちらに仕上げても魅力的な被写体を、
カラー、モノクロのどっちに仕上げるか。
コレは、小林先生も近いことをおっしゃられていますが、
第三者に、正確に自身の作品意図を大きなぶれなく伝えるにはより、モノクロが適している
と感じています。
カラー、モノクロのどっちに仕上げるか。
コレは、小林先生も近いことをおっしゃられていますが、
第三者に、正確に自身の作品意図を大きなぶれなく伝えるにはより、モノクロが適している
と感じています。
たとえば、夕景に輝く花。もちろんカラーでも素敵です。
モノクロでは光そのものを見るようになりました。
例えば人を撮るとき、カラーでは唇の赤を見ています。
モノクロでは唇にどの方向からどんな光が来ているのかを見ています。
見方がおのずと違っていきます。』
撮影の瞬間のホンの些細な気持の動きすら、取りこぼすことなく、
より強く、長く、作品の中に定着したいという
「必死感」「欲張りさ」を具現化する行為が、
僕が現時点で感じている、モノクロ写真を撮る、あるいはモノクロ作品に仕上げる
という事でしょうか。
より強く、長く、作品の中に定着したいという
「必死感」「欲張りさ」を具現化する行為が、
僕が現時点で感じている、モノクロ写真を撮る、あるいはモノクロ作品に仕上げる
という事でしょうか。