フォトグラム#38 変わっても変わらなくてもいいの境地

答えを出せない、変われない自分も受け入れる

自分より下の人探しというみじめさ

当たり前ががんばりの連続で当たり前じゃなかったのは

がんばれなくなってから気づく

弱者が抱える事情を考えれない、どうせ能力が劣っていたからだろいうという結論

そろそろそんな自分にそのまま「いいね」

行き過ぎた自業自得

自分は平気、自分は特別という穿った横柄さは2010年代最後のブーム

変わりたいという言葉にかわる方法を投げ返すのは簡単

変わらないでそのままでいいは勇気がいる

自己責任論=「生活が苦しいのはその人の選択のせい」が間違っていた事に

多くの人間が気付き始めたのがこの1~2年

まだ主流の考えになっていない危険性(目を背け気づいてないふりをしている)

自分は無関係or逃げ切れると思ってる業界、世代も数年以内に必ず巻き込まれて全国民が等しく経済的不幸になる事が確定している

今のうちに、資本主義ではない、新しい幸福観に先にたどり着いておいたもん勝ち

この感覚を今理解しているかいないか、詰め込み学問ドーピングの愚かさから見直す

嫌な感情や状況に折り合いをつけて落ち込みすぎず押しつぶされない技法

自分の意見こそが正論だとおもう「世間はバカ」という危険性

多種多様を理解できていない

最近ようやくAIで暴言か検索に載らないor弾かれるようになってきた

いらいらや動揺を手放す

他人に対する判断、反応、評価、憤慨、辛辣を控える、すぐに反応しない

勝ち負け思想・・・相手が得をして自分が損をしたら負け、損得勘定判断の連続

これを続けると必ず、自分を見失う

もがいて得る幸福よりもっと繊細で達成できる、心の静けさ穏やかさに価値を見出す

「運が良かっただけ」これが大事

努力結果至上主義、努力してない(ように見える)成功者に対して必ず嫉妬に狂う

相手を傷つけるだけでなく自分の人生がイズレ腐る

自分がコントロールできることを出来ない事の境界を明確に

この境界線は本当に心を救ってくれる

生活の心配がないと気持ちに余裕ができる

では生活の心配とは?経済的な心配は実は案外ないと気づけるか

良い人生には何が必要なのかが大きく変動してきた

21世紀の資本主義が押し付けてくる良い人生とは別物

鼻持ちならない金持ち、人を見下す高学歴、性格の悪い美人

は一定数必ずいる。なぜこんなことが起きるか

辛酸をなめた結果で無理に作って維持しているスペックという感覚が原因

我慢や犠牲で作った地位・学歴・美貌を持つものが持たない他者を冷ややかに見てしまい、自己愛を持てない=常に欲求不満

そこを理解してあげる必要がある

自分も大切な人もみな死ぬという事実とたまに向き合うと

時間が死と深いつながりがあって、貴重で限られたものかを意識できる

自己愛がなく努力で勝ち抜いてきたと錯覚している人間には弱者は努力不足としか映っていない

お金、健康、評判、外的なものとのかかわり方を再調整

「好ましくとも無関心でいる」という捉えなおし

関心に溺れすぎると必ず不安になりどうでもいい事に時間が溶かされる

他人は幸せそうなのになぜ自分は不幸なのだろう・・・愛された、注目された、褒められた体験が少なくなると自動でこれに陥る

感情の揺り戻しで気持ちの落ち込みがやって来るのを無視して自分の気分を高揚させようとがむしゃらになる危険

下の人をバッシングして憂さ晴らしが慢性化

励まし方であるあるの「まし、下がいる」これで事態も気持ちも好転はしない

何度でも何度でも立ち返ってもう一度しっかり責任を持って取り組む

肯定的に見てくれて認めてくれる人に囲まれる重要さ

勝手に楽しくなり、自己愛に満たされる

チャレンジングになれる

たとえ心折れても、人は変わらず歩み続ける

バブル崩壊後の危機は戦争政治を自国から起こせない日本にとって、

国内格差を拡大させて弱者を追い込むしかなかった

ついにその裏技も超少子化、自分で食ってけないレベルの貧困層に没落した生活破綻者増が隠しきれずリミットが来た

根性型と承認型

どっちが優れているではない

時代、環境、種目による

相手が一番聞きたいほめ言葉

頻繁に頻繁に

人口が国力潜在スペックに対して増えすぎていた・・・のも原因

この人口数のまま全員一律ハイスペック生活を維持するなんてもともと無理

別れた後も相手の心に残る一言

爆発した人口の適正化→少子化は法律で強制しなくても適正数になるまで自然発生する

優しくすると損するという考え

見返りを求めるとこうなる

拝金至上主義、その後ろ盾だった学歴主義=20世紀後半~21世紀前半日本型資本主義がいったん崩壊した今、次の時代に幸せを見出し感じれる一部の層だけが子孫を残す

相手の好意を勝手に期待する時代が長かった

自己満足ですべてを完結させる

見返りを求めるのではなく勝手に満足する

可哀そうだからではない

いたわる気持ちから

尊敬リスペクトと敬意は違う

自分がされてうれしい事

格差社会の歪が全階層に精神的余裕を失わせより弱者に対する理由なき攻撃になる

無記名、無責任に発言できるSNSの大衆化もこれに加わったのがこの5年