陰翳礼讃237 世界は撮り尽くされたか

新鮮であること

多くの人にとって未知のイメージであること

新たな価値観の提示であること

 

 

いい写真は作者の手を離れ勝手にひとり歩きしてくれる

話題になったりなにかの賞をとったり、その後を作者がついていくのだ

 

アサヒカメラの写真の殿堂で初めて準優勝を頂いた時に

小林先生から

「今までにみたことのない作品です」とまず第一声に褒めてもらったのを

思い出した!自分ではいつもの作品の一つなんだけど

まさに作品が勝手にひとり歩きしてくれた瞬間だったな

 

写真は他のメディアより観る側に託す部分が大きい

見る側の想像力も含めた写真を読む力に頼らざるを得ない

 

写真はすべての人に同じように伝わるメディアではない

6割ぐらいの人に意図が伝われば上出来

逆に10割伝わる写真はつまらない

趣味も興味も思考も世代も違うすべての人に同じように伝わるわけがないという思いがある

 

これはむちゃくちゃ勇気づけられるメッセージだ!

写真に限らずそういうシーンって多いもんな

よく「人気投票アンケートで100%とりました!」とかいうのあるけど

嘘クセェ~と冷ややかに思っちゃいます

ほんとにクセつよでいい内容なら逆に100%には絶対にならんからね

 

機材を替えることによるいやおうのない強制力がとても重要

機材が替わることでものの見方や考え方が替わる

道具であるカメラにそれを強制されることを魅力的でステキなことだと考えている

 

くっそ重いけど縦グリ仕様のα99に100マクロとクリップオンストロボを

付けて出る時はまさにこの強制力に頼る部分が大きいな

クリップオンストロボ長いこと使ってないな~~日中シンクロ撮影とか

楽しいのに!反省

撮る側の考え方、感じ方、経験、年齢、何より時間軸が加わることで

世界は常に更新している

決して撮り尽くされることはない

 

逆に何もシャッターを切れない時は自分の更新が停滞している証

いったん写真から遠ざかって養分吸収=インプット時期のサイン点灯ってことだな

消費される写真とそうではない写真の存在

この間には何があるのだろうか