
40日間夏休みの真ん中
真緑の柿の樹、少し匂ってかゆくなる麦藁帽子
セミの声、稲の香り、暑さをギリギリ我慢できるクーラーレス。やわらかい畳。
蚊取り線香にがんばってもらいながら、網戸も開放。
遠くの景色まで一体化する部屋。
隣の部屋から高校野球の実況。

しばらくすると、冷えた瓶入り三ツ矢サイダーと、サイダーグラス、
塩を振りかけた、自家栽培のそんなに甘くないスイカ
をじいちゃんが運んで来てくれるんだよな。

ん?違う!甘過ぎる!
はっと現実に戻って、壁の、遺影の写真を観ます。

なぜ?あなたがたは、写真の中にいるのか。
スイカ自体、数年ぶりです。
こんな日しか、もう食べなくなったな。
何十年も前にしまわれたままになっていた記憶が、
当時と変わらない、光や、音、香りに刺激されて、
一気にあふれ出します。
リアルタイム小学生時の気分があまりにも正確に復刻されて、
戸惑います。
俺、いつの間に、こんな年に。
じいちゃん、ばあちゃんが遺影の写真の中だけにいることが
改めて、あまりにも違和感です。
そうそう、
小学校の頃って、明日どうなる、来年どうなるとか、
そんなせせこましい事は何一つ考えてなかったよな。
いや、それは、守られていたから?
古里があること、維持すること、「帰省」の本当の価値が
ようやくわかるような歳になったなと。
人類共通の財産とかそういうのではなくて、
その人個人個人にとって、特別な風景ってありますよね。
他人には、全く意味のないものでも、
本人にとって価値が有り続ける限り、どうしても残しておきたいモノがあります。
むしろ、そういうモノの方が、
誰もが認める、世界の絶景よりはるかに価値がある気がします。