今週のお題「大発見」
久しぶりに無料アマプラでコテコテ平成マインドのトンデモ系本があったので、
そりゃねぇわと突っ込みながら読みふける
就活前の娘なんかだと陥りやすい一過性の熱病的危険な思想も多い
正論と極論がシームレスにつながっていてこの瞬間理論が破綻し始めてる!という分岐点は人生経験がないと気づきにくい
学生→若い社会人だけでなく、オッサン→定年後直後の先輩
=少し先人の背中をよく見て
正論と現実と自分が一番美しく感じる生き方の
落としどころを探っていくのが大事
$が無いから嫌な事を我慢する必要がある
$があれば嫌な事は我慢してなくていいんです
$を稼ぎましょう!
$がすべての問題解決の主体・・・そんな時代はとっくに終わっている
リアルタイムで戦争して家族が死んでいく国じゃない
環境、外見に$をかければキレイは作れる
$がなければキレイは作れない?
興味のある環境や外見っていったい何だって事
幸せな経験をたくさんする
困ってる人がいたら手を差し伸べることができる
やりたいことが無限に出てくる
それらは全部$がいる
$ないとできない事か?
悩みは全部$で解決できる
今の悩みはもうそういうものが主体ではない
がんばってもうまくいかないなら開き直って独りで生きていくしかない
「開き直って」が問題
別に開き直るという卑下の気分はない、好きでしている
不安の解消ではなく自分を喜ばせるために$を使う事が出来るととても幸せを感じる
これは正論
その幸せな気持ちで次の$を稼ぐモチベにする
ココがアウト
家事育児は無償労働
嫌なこと無駄なことと認識するのがそもそも△
それを楽しいと感じて生きている人が多い事実が欠落している
多くの場合、手料理を準備する事は家政婦的「業務」ではない
笑顔を想像して材料買い出しする所からすでに楽しい
少しいい調味料を値段をみずに買う
偶然半額に成ったらラッキーと買う
どっちが幸せか
学歴、出世、年収、$残高レースが好きでそのスコアアップがモチベ
こういう人も未だいるはいる、コミュニティもあるはある
そういう価値観をみなの共通認識=「主流」としてきたのが前時代
多くの人が感じて求める「今の幸せ」とはとっくにずれて、
マスの価値観ではすでに無くなってる
自分を幸せにする$の使い方がある
ここまでは正論
幸せエネルギーで自分を満たして、そのエネルギーで
次の幸せのために$を稼ぐ
ここで破綻
$のために$を稼ぐループ
それが楽しいと感じるれる人はすでに少数派
大$は大$を作るためだけに必要な特殊価値で、
個人が個人のモノや体験を買うための$はそもそも違う
300万の指輪を金庫にしまって
たまに取り出して独りでニヤニヤするのは
もはや持ってない人生と現実は何も変わらない
金庫の中の物は人生を豊かにすることはできない
無茶苦茶な理論やなw
1000年前の正倉院宝物全否定
価値があると感じるものには$を使う
価値を感じないものには$を使わない
自分が気分よく毎日を過ごすために$をつかうことの価値
これは全面的に正しい
こういうのもチョクチョク挟んでくるから話がヤヤコシイ
同じ価値の物では一番安いものを選ぶ
価値が違うのに安いものを選ぶ
この差は大きい
これも正しい
トイレを掃除すると金運が上がるなんてのはバカバカしいからそんな暇があれば稼ぎなさい
トイレを掃除しようという美意識を持っている事が素敵なのであって、そういう美意識を持っている人は他の所作も総じて美しい
純粋に$運のためにやってる人は愛すべきアホだが、$運のためにやってるんでしょ?バカバカしいから辞めなよという卑下する発想は「気持ち悪い」
安さではなく欲しいものを選んでもまず破産はしない
人生をハッピーにするお金の使い方
高くてもそこで感じた直感をないがしろにしない
多少高くても買っても大丈夫なものに悩む
絶対買えないものは買おうとそもそも悩まない
悩む物は買おう
この辺も普通に正しい
ハイブランドのプレゼントを贈られる人は
先にハイブランドを身に着けている
自分を大切にしてるなと感じる人を邪険にはできない
パッと目を惹くブランドの力を借りる
さりげなくではなく、だれの目にもわかる物を身に着ける
見た目の投資はコスパが高いはテストステロンさんもいってるど正論
問題なのは、
ブランドの力を借りるためにブランドを買おう
ココが飛躍してる
ブランドは「自分が好きだから買いたい、持ちたい」
であって、あざと力のためという要素は別物
否定はしないが別パラメーター