体罰はなくすべきだけど、無くならないと言い続けて1000年超

いじめ問題の次は、体罰問題ですか。
こういう教育現場の「問題」って、問題問題いう割には、
絶対解決しないイメージです。
 
古代文明から進化して、
一般相対性理論を民生応用したGPSロガーでハイキングする時代であっても、
本能に根ざす人同士の問題は、
1000年程度のスパンでは、ちっとも進化してないんだろうなぁ。
 
スポーツシーンでの「体罰」って、極論を言うと、一種のドーピングであって、
体罰無しのなかよしこよしだと負ける。超スパルタで、体罰ありだと、勝てる。
って二者選択のときに、「無しで負けでもよし」という選択肢を
指導者側も、生徒側も選ぶことが出来るかという事ですね。
 
戦力をつけて、植民地化されないようにする。
戦力を放棄して、植民地化されてもあきらめる。
 
どっちを選ぶか・・・
 
明治維新以後の富国強兵理論の根本がコレでしたよね。
まぁ僕の教科書での学習知識程度の認識なので、
もっとおくが深いんであろう事は重々承知の上で話していますが。
 
桜高の体育科は僕もよくしっているのですが、
あそこは、本気体育で勝負する子が最初から納得の上入学しているのイメージで、
しばかれるのが嫌なら、はいんなきゃいいのに・・・という雰囲気の場所です。
例えば、どつきあいや喧嘩が嫌いな人が、健全なスポーツとして、
相撲や、ボクシングのハードな練習をやり続けるイメージはないもんな。
 
でも、もし、自らは望んでいないのに、掘り込まれて、
逃げ出せずに追い詰められている子がいたとしたら・・・
それは恐怖だなぁ。
 
桑田や中田が、体罰は意味が無いとアピールしていますが、
たぶん今は、あえて語らないけど、しばかれて、結果強くなれた
選手も大勢いると思います。
ただ、それで強くなれたとして、果たして、本当に幸せなのか。
他の人に感動を与える強さなのか。
 
ん?聴いたことあるぞ。
タイガーマスクのエンディングだ!
 
強ければそれでいいんだ。
力さえあればいいんだ。
 
この考えを「孤児で、ひねくれて育った」結果だと謳っています。
 
僕のランニングの動機は社会への劣等感から来る復讐でした。
単なる健康目的でここまで続いたか怪しいです。
闘争(心)は本能であって、なくしてしまったほうが、
より進化したよき人類になれるのか、うまく想像が出来ません。
 
少なくとも近未来では、学校現場での体罰指導はスポーツ、勉強にかかわらず、
違法と。そして、違法とされる体罰教育を行うのがむしろ「売り」の
魁男塾!や虎の穴、受験指導では、ドラゴン桜高校なんてのが出来てくる予感。
 
そのとき、保護者や、生徒が選ぶ道は・・・・
俺だったら、どうするかなぁ。