ドラゴン桜 仮想東大受験を通して得た事

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・・・おくればせながら、ドラゴン桜全21巻を読みました。

自信満々の頃のホリエモンがコメントで登場していたりして、少し時代を感じさせます。

巻が始まった頃は、
「自分の小さな才能に頼らず、痛みに耐え、現実に学べ」
「人は、自分の望むものすべてを手に入れても必ず何かを悩む」

というような、人生論的な言葉のチョイスがうまいのですが、
次第に、受験雑誌や予備校のチューターが話すような退屈な
「受験勉強方法の心構え」「保護者の方へ」
っぽい話が多くなってきて、退屈なので、ザザザーっと斜め読み。
進研ゼミの受講催促の漫画っぽいノリです。
多分、編集の方から、売れる方向って事で、大分指示があったんだろうなぁ。


それでも、時に、ハッとするシーンに出会うので、
結局最後まで読みきりました。


受験勉強・・・それも、非常に難関を突破しようとする時の
行動パターンが、受験からはるかに年月がたった、
今の僕の日々の行動のヒントになる気がして、色々メモを取りました。


「難しすぎる問題はあきらめる。大切なのは効率」
「一問を完璧に解けても、他がダメだと意味がない」
「報酬がなくても、知識を得る喜び、達成する喜びは大きい」
「時代遅れのおんぼろ遊園地になっていないか」
「いつも何かが足りない、それを満たすために、空白を埋めるために
ひたすら考え続ける」
「ほめることと、おだてることは違う」
「昔から生き残っているものは、すぐれたもの」
「自分で考える前に、知識と経験がある人間に聞けばてっとりばやい。
情報収集力が大切」


僕自身も、かつて、18前後の厳しい大学受験を通して、体にしみこました
言葉のはずですし、あまつさえ、受験生に指導する仕事を20年近くやってきて、
日々口にして来たフレーズなのですが、今の生活と重ね合わせて、
ようやく発見した事があります。それは、


「受験期の人生」その後のための必要悪で、耐え忍ぶべき、死んだ時間。
「受験成功後の人生」ずっと続く、平和でのんびりしたゆる~いモノ。
などと、切り離す事は絶対出来ない


・・・受験期のタイトなスタイルから、人は
人として生きていくためには、一生逃げ切れない。ボケない限り。


この年でようやく観念した気がします。


「後で苦労するよ」


これは、勉強から逃げたら、逃げなかった人と比べて、後でしんどくなる。損をする。

という意味だけではなくて、
逃げ切ったと思っていても、人として生きていくと、必ず、何かに強く悩む日が「平等」に来て
結局、悩みを乗り越える努力から避けられないよって事だと、もっと早くとらえるべきだった。

明日が期待できる「若いうち」は、必要に応じて、闇雲な、努力も時に出来るけど、
明日が無いかも知れないと思い始めたら、全部言い訳をしながら、
もう、我慢出来ずに、自堕落に放棄する・・・明日を思い描く事が重要ですね。


もう一つ気づいたのが、頑張りどころの方向性、旬はその人の人生観に合わせて、
特徴的でひとによって異なる。優先順位をコントロールして選んでいく、重要さと面白さ。
バイキング料理の興奮ですね。


『堕ちきって、ゼロに成ったら、しばらく右肩上がり「だけ」の成長局面を楽しめる。』

くしくも、堀の中にほりこまれた、ホリエモンが、被災地に対してコメントした
言葉が、作品中の
「戦後断絶が、新たな日本を生んだように、時代を画す混沌は目覚めの時でもある」
との言葉とともに、強く心に響く事に。


フォルツァ3をやっていて、
10年後に、GTRをブイブイドライブしている自分を少しだけ想像して
楽しくなれました。
よし、ママチャリから始めるぞ(W


自然の桜は散って、必ずまた咲く。来年もまた同じように咲く。