好きなものを好きというとむしろ嫌われるという悪のルールの正体

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部屋に落ちる光と出来る影が絶妙のタイミングを見つけると
はっとします。

負ける事が解っていても、
自分の「いいね」(古いことばで正義)を貫く事は不器用ではなく、
逆に羨ましい事かもしれんなと。


鉄道会社が就活生に「アイスクリーム、コーヒー、うどんのなかでどれが好きか」と聞く重要なワケ

この記事を読んで、
昔の僕なら、
そりゃ~好きと仕事は違うし、鉄道会社は鉄道ヲタク
欲しいわけじゃないからなぁ~と
正論で考えていたと思うのですが、
今はかなり変わってきました。

そもそも、鉄道会社が、鉄ヲタなんていらねぇよって
上から目線に感じるそこはかとない下品さは置いといて、
鉄ヲタが、好きなものを好きで
それを軸に好きな人を増やすことを仕事にしたいという思いに、
社会はそんな甘いところじゃないという悪の魔法の言葉
が、令和の時代にもはや少し古臭くないか?って感覚です。

一定枠だけで競争率は高いですが、
純粋な鉄ヲタもやっぱりほしいですね

この一言が付け加えられないものか。


僕は鉄ヲタでも何でもなく、
彼らの独特の「アク」や無粋さ故の「きもちわるさ(悪口w)」
は解らんでもないのですが、
(自分もキモヲタ側なので非モテの気持ちはよく分かりますよw)
その無限に湧き出るキラキラした子供っぽいモチベーションには
憧れと尊敬を感じます。しかも、結構強く。

○△はダメ!
○△だからダメなんだ。
もっと危機感を!!

という我慢で成果を出すのが得意な人用の大半働き方と、
何かを強烈に好きでい続けれる特殊なモチベを活用する少数の人が
いい感じの割合でいて、
お互い補正し合えるのが理想だなあ。