Photorecording #250 両親の老い

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月に一度ペースで、実家に顔を出すのですが、
あう都度、凄い勢いで、加速的に、両親が

「白」

くなっていく気がします。

色々激しい人生で、困らせ続けていた息子も少し落ち着いて、
気が抜けたのかも知れないな。


これ、正社員復帰のお祝い・・・お父さんは
乗り気じゃないから、お母さんの独断で!
と、封筒を握らされました。

何か、記念に残るものをネ!とのお願いなので、
ちょっと、かんがえようと思っています。
まさか、これで、PS4PROを買ったらバチがあたるわいw

あう都度、

「今日が最後だと思って来てや」

と、連れて行った、娘に語りかけていますが、
娘はどれだけ、聴く耳を持ってるやら。


僕の場合、亡くなった祖父、祖母とは、
自身が高校2(弟中2)の初詣が、泊りがけで遊んだ最後だったな。

立て続けだった、僕と弟の、浪人時代も含めた、
数年間の受験生活中は全く帰省せず、
学生になると、年に1回顔を見せるかどうか。

社会人になってからは、電話すらしなくなって、
結婚して、引越しした春に、新居に届いた手作り野菜や米の御礼に、
一回だけ、電話でばあちゃんの声を聴いたな。

次は、ばあちゃんのお葬式だった。
その日、独りになった、じいちゃんと、
「今どこにすんどるんどい」
という会話を交わしたのが、最後で、次あったのは、じいちゃん自身のお葬式。

あっというまだったな。

いや、あっという間ではないのか。
もう、その辺りの記憶も、僕自身、かすれ始めています。

そりゃ、自分の息子が高2、娘が中2に成ろうとしているんだから。
結構な時間が流れたんだな。


この年になって、やっと、

「正しい生活は何のためにするのか」

の大切さが、他人の受け売りではなく、心底つかめた気がしています。

若い、息子、娘は、まだまだ、この感覚は、わからんだろうな。
お金が全て、損得勘定が全て、これを覆すのは、
やっぱり、自らが体感しないと、理解できません。それには物理時間が必要です。
こういうのって、本を読んで、数学の公式のように納得できるものでもない。


70を超えた本当の老人になるころには、更に、
もう一段上の、
達観した思いが開眼するんだろうな。

今のうちに、両親の言葉に耳を傾けておきたいです。