絶望の国の若者の幸福と夢

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先週の週末ですが、たまたまつけたテレビで、
朝まで生テレビをやっていて、
テーマが面白そうだったので、久しぶりに見ました。

朝生って、ガチディベートに見せかけて、
実は、適当な論旨で、結論が出るわけでもなく、
画面に向かって、一緒になって、
「そりゃ~ないわ」
とか「そうそう、俺もそう思う!」
っておつまみなんかを片手に楽しむのがオツ。

ネットSNSが発達して、同時進行で、
ツィッターだの2ちゃんだので、すごい勢いで、
コメント書き込みが発生し、情報として流れます。

そのうち、リアルタイム番組に、ニコ生のように、画面上に、
番組とは無関係に、自由にコメントを表示し続ける機能がでるんでしょうかね。

マニュアルや、新書を読むとき、
脚注の隅々まで読まないと気がすまない性分なので、
自分が素通りしてしまったかもしれない、
莫大な楽しい?!情報があったかもというだけで、
なんか、満たされない感というか、
焦燥感を感じてしまいます。

もっと、退屈地獄!
というような、のんびりした、時間の流れを味わいたいです。


話は元に戻りますが、
表題の「絶望の国の若者の幸福と夢」

こんなに、色々とアレな時代なのに、20台の若者たちに
日々幸せを感じているかというアンケートをとると、70%を越しているとか!
ゆとりで、無責任、鈍感、アホになったとか、
バブルを知らないからだとか、
色々議論は飛び交いますが、
僕は、途中で、はは~んって漠然とある事を感じ始めます。

将来、このままだと、この生活すら維持できず、
日本が滅んじゃいますよ!
と年配の有識者は発破をかけますが、
それって、日本平均年収500万以上の人たちが、
ワーキングプア底辺層といわれる
年収200万前後の生活に落ちる事に対する恐怖なんじゃないのかいな。

世の中の特別な価値を生み出すのに、資本が本当に必要な
限られたエリートの元にだけお金が集まると。
年収500万が100人いるのではなく、年収5000万が1人で後は全部200万
コレで、総予算はちょうど約半分!
原発全部止まって、子作りはおろか結婚すらしなくなって、
人口半分になったら、まぁこんな所でしょ。
・・・この数十年での経済状況って、そういう方向になる気がしています。


猪子寿之が「僕の年収は少なくて2000万ぐらいです」
というと、田原総一朗が、「僕は4000万・・・」
ある出演者が、
「一ヶ月\800のメルマガを1000人に読んでもらったら、それだけで月収80万なんですよ・・・」
ぽか~んと、なんか、コレは、別の国の人たちのやり取りなのか?
一気にしらけてしまいます(W
田原総一郎なんて、もう、80近いんですよ。
何に使うんですか?うまいもの食うったって限度があるわ(W
そもそも、なぜ、そんなに彼の元にお金が集まる必要があるの?
こういう高所得者層であったり、インテリの人を集めた
ディベートもどきをマスの電波で流して、果たして、共感を得られるのかな。
浮世離れしてきてないか?朝生!

とムラムラ腹が立ち始めるのですが、おっとっと、コレこそ、
古い、、もはや、時代遅れの思考パターンだと
落ち着かせ始めます。


幸せと答えた若者70%の母集団がよくわからないのですが、
僕はひょっとして、不幸せと答えた30%こそが、いわゆる「エリート側」で、
しんどい受験戦争、就職活動戦争、
企業間戦争、育児教育戦争に明け暮れる宿命を自らに課している慢性戦士達なんじゃないか。

そして、幸せと答えた70%は、低学歴であったり、低所得だけど、
カリカリ難しいことを考えるのを放棄した人たちか。

乱暴な言い方ですが、
無限の進化発展を夢見て、国際競争で勝ち続ける事を目的とするより、
少ない欲望内で、とりあえず目先の「ささやかな日々の幸せ」を
うまく見つけられる能力を持つほうが、
より21世紀的に「進化」した人の姿かも。

仕事上での会食で、キリキリと抜き差しなら無い空気感の中
食べ残しまみれになる、会席料理を囲むのと、
やれやれ、今日もたいしたこと無かったなぁ~と言いながらも、
半額から揚げをつまんで、残りを次の日の弁当のおかずにまわすのと、
どっちが、より、近未来日本にふさわしいか。


まぁ、僕は、自分の運命を自ら選択できる身じゃないですから。
エラソーにはなんもいえまへん。
あぁ、洗濯物取り入れないと(W




note
http://digital.asahi.com/articles/TKY201202240588.html
元ストリッパーのアカデミー賞脚本家

普通の世界から一転、闇の世界にさらされたことで、書く力を貰った。