児島昭雄 撮る人のための実践的写真論

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図書館で、写真関係の書籍を借り続けて4ヶ月がたった。

リュックに入る・・・という物理的な制約が元で、
三週間で、5冊のペース。今で、25冊程度かな。
たいがい、熱しやすく、マッハでのめりこむ分、
案外さめやすいボクなんですが、
まだ、今のところ「飽きない」ので、
しばらくはモチベーション維持で悩む事はなさそう。

写真関係の書物は高価で、
もし、書店なら、数万円以上かかっていたわけで、図書館様々である。

直接線を引けないので、覚書にしたり、メモにとったりとしているなか、
今回借りた、

児島昭雄さんの
撮る人のための実践的写真論

は、久しぶりに、読んでいて楽しかった。
この原稿を書かれているのは80歳前後のはず。
一つ一つの言葉が重い!

家族以外の写真を撮り始めて、漠然と感じはじめていた悩み
他の人の色んな作品を見て、自分の感じる気持ちの理由
の多くが解決できた気がする。

表面上の技巧集ではないので、たちまち、見栄えのする
写真が撮れるようになるタイプの書籍ではないが、
いわゆる「たんぱく質
というか、血や肉になるタイプの書籍だと感じた。




以下本来非公開自分用「メモ」ですが、
公開してみます。

興味のある方は是非




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すべての写真はフィクションである
写真は世界について語るのではなく、写真に写された世界をかたるのだ

カメラマン
現実をそのまま切り取ってくる人間
写真家
現実を虚構化し、現実とは違った別のものに置き換えて表現する人間

とはいうものの、
絶対非演出といって客観的になろうとしても、現実の引き写しにはならず、
撮る人の姿勢が反映される。

論理的に考えないで
感じるままに撮ると、その人の性格や心理状態がわかる

動機は二つのタイプ
外界の対象に触発される受身の動機
自分のイマジネーション、思考、主張を被写体を借りて視覚化したいという動機

難解な写真・・・作者の人間を知る必要がある(見る側の努力)
難解な作品を読み解く作業を経験して、作者の思考過程を知ることは自分自身が
創作しようとするときにいい刺激に


風景写真の失敗
対象のよさに寄りかかり、自分の独自の見方、主体性を失い、風景に撮らされてしまう
つまらない風景写真に

本質的なもの
人為環境影響、地質、植生気象条件・・・自然に対する理解の努力

美しいだけの風景写真は古いのか
美も文明を健全化する重要な要素・・・従来のオーソドックスな自然の美しさを追求する写真

情緒的な美しさを追う風景写真や造形的な作品だけでは
語りきれない世界がある事を感じ始めた→ネイチャーフォトが盛んになってきている背景
ニューランドスケープ
好きではないけど無視できない
見え透いた強調や省略といった表面上の技巧をくわえないので、
声高に訴える作品よりかえってしずかに、しかも強く見る人に語りかける

写真の本質・・・それはかつてあった


何をどう写しても写真そのものは常に目に見えない。私たちが見るのは写された対象(被写体)であって、
写真そのものではない。

ロラン・バルト 明るい部屋
ストゥディム・・・写真から得られる文化的な教養や知識
写真に関心をもち、好きだという次元にとどまり、熱愛には至らない
プンクトゥム・・・感性の痛点を刺激するもの 心の傷痕
道徳や知性とは関係なく全身で感じ取り、突き刺して心に傷を負わせるもの

プンクトゥムを誘発

うまい写真ではなく、写した人が見える写真

単写真は見る人の解釈が広がりすぎて作者が見えにく
一連のシリーズだと文脈が生まれ、コンセプトが伝わりやすい

写真は足し算か引き算か・・・どちらでもない。大局的にいうと、
そこを写したいという発想そのものが、引き算・・・程度。
何を描かないかの選択の大切さ
プロだろうが、ベテランだろうが、永遠に、いつも、一瞬の判断に迷い続けるもの。

人は関心のあるものしか見ていない
写真は、人間の目の代理ではなく、もっと別な力を持っている・・・その力を活用しない
手はない。
テーマを先行させ、撮影対象を探す「何かの為に見るの」ではなく、「見るために見る」
・・・カメラの目、物理的な世界

写真映像だけに可能な未知の美しさも撮りたい
を追求する志向は、美も醜もすべて等価として取り込んで、「写真のための写真」を目指す
今日的な写真とは相容れない自己矛盾
今日的な写真・・・難解だが、刺激的な楽しみがあり、それも、また撮りたい。

自己矛盾を抱えながら撮り続けるしかない。

演出
あまりに、間がよすぎたり、条件が整いすぎていたりすると逆にぎこちない
現実は人の想像を超えるものがある

テーマに対するこだわり
継続した強い関心

写真することがとてもたのしい

知ることより感じる事
whatではなく、Why