久々α99+SAL100M28
RX0M2の1型24mm単に慣れていると、
フルサイズ100マクロの感覚が新鮮で
どの方向をみても面白い
自分はいつまで写真を楽しめるんだろうな
数年ぶりに朝ドラの「おかえりモネ」をみていて、
(多分あまちゃん以来?!)
オリンピックで録画がボロボロなのに
この自動録画問題回避は出来ないんだよな・・・
劇中で、「100%自分のためにしたことが、回り回って
他の人の元気につながるのであれば幸せ」という
フレーズにステキだなと思った矢先に、
オリンピックのソフトボール選手のドキュメンタルで、
これからは、自分のためではなく、人のための
美談として伝えられている。
どっちやねんw
写真も同じで、
人を楽しませる事が主体になると
窮屈でつまらなくなる
自分が好きなものとりゃいいんだよは、
独りよがりになる
どっちだ!?
こういう強めの二者択一教訓は
絶対に、それがフィットする状況があっての事で
たまたま自分に追い風の時はいいけど、
その逆を、しかも他人から押し付けられるときって
きついですよね
鉄拳制裁や、練習中に水を飲むのを禁じたような昭和スポ根は
すべて駄目というムードだけどこれも怪しいよな。
必ずしも勝負や記録のためだけじゃなくて、
そういう追い込みの共同作業を神秘体験というか、
宗教的な快感に似たものとして、コーチも選手も共に荒行だからこその
「酔」を楽しんでたフシがあるのではと最近気づいた。
鬼コーチだからこそ芽生える恋愛感情や、
喧嘩映画で散々どつきあって、だからこそスッキリみたいなのんって鉄板だもんネ
その究極は、大切な人のために他人を殺しにいきなさいという戦争で、
そこにモラルなんて絶対ないし、2021年になった
今でも普通に最大予算がかかってる外交手段として
存在し続けてる人類の大脳の限界ね
ルールを守って、人のことを考えた美しい殺し合いなんて絶対ない